のれん【暖簾】
            参考リンク  のれんかい【暖簾会】
                    のれんわけ【暖簾分け】


のれん【暖簾】
       
そもそもは、帳(とばり)(たれぎぬ)をつるして日除け、ちり除け、目隠し用として使われていた。後に屋号や商標などを染め抜いて看板や広告の目的がつけ加えられるようになった。江戸は寛永(1624〜44)のころに始まったとされているが、その後は大いに流行した。布は木綿製、地は紺、屋号や文字は白く抜くのが一般的だった。下が地面にまで着くような長いものは「長暖簾」という。後に、のれん名、つまり屋号をも示すようになった。″暖簾を誇る″というのは老舗の形容である。

のれんかい【暖簾会】
 
同じのれん(屋号)のもとに相互扶助と繁栄を期するためのそば店の組織。一族や弟子が結束するほか、同郷出身者で結成された会もある。材料の共同購入や事業の拡大などのため協同組合化する例も。通常は全店が同一の屋号を用い、盟主の店は総本店とか総本家などと名乗ることが多い。同じ屋号のそば店でものれん会は別だったり、屋号が商標登録されている例もある。
東京を中心とした首都圏に多く、主なものとしては、
長寿会(長寿庵)、増田屋のれん会(増田屋)、満留賀会麺業協同組合(満留賀)、朝日屋会(朝日屋)、一家会麺業協同組合(砂場、大むら、大橋屋)、東京松月庵麺類協同組合(松月庵)、実成会麺業協同組合(長寿庵)、巴屋同盟会(巴屋)、大むら親子会(大むら)、大むら会(大むら)、砂場会(砂場)、浅和会(浅野屋)、藪睦会(藪蕎麦)、寿美吉麺業協同組合(寿美吉)、屋張屋のれん会(屋張屋)などがあり、首都圏以外では、静岡の岩久のれん会(岩久)、北海道の東家会(東家)などが、のれん会として活動している。※()内は、屋号。


のれんわけ【暖簾分け】
 
江戸時代には、「のれん」が店の権利、信用なども意味するようになり、一族や番頭などが独立する場合を、「のれん分け」といった。丁稚制度における丁稚・手代・番頭の各段階を経て別家になる資格が与えられること。独立に当たっては主家の屋号を分与され、同業を営む。奉公人にとっては大変名誉なことであり、のれんを汚すまいと商売に励むことになる。