そばかい【蕎麦会】

       
参考リンク  くみあい【組合】

                  れんごうかい【連合会】
                 そばりょうり【蕎麦料理

そば好きの人たちを対象に、主にそば店が主催するそばを賞味するための催し物。店の立場としては、採算は抜きにして心底からそばを愛する人たちに集まってもらい、談笑の場を提供するのが狙い。ときには創作そばを披露したり、各地の郷土そばを紹介するなど、伝統のそばを台として、工夫をこらす。原則として、会員制をとることが多い。
東京のそば会は、大正末期から昭和初期にかけて、「滝の川の藪忠のそばの会」が、通人の間で知られていた。新聞記者松崎天民がこれの支持者として熱意を示した。その後は戦争騒ぎで、そば会どころか、そば屋も開店休業の形だったが、終戦後に新島繁の「八重洲さらしな」が、創作そばを出発点として、多くの人たちを啓発した点は見逃せない。
現在も継続して行なわれているそば会としては、萬盛庵(山形)主催の「山形そばを食う会」、永坂更科(東京)主催の「更級つごもり会」、更科一門(東京)主催の「更級家伝そばの会」、桐屋(会津若松)主催の「会津蕎麦の会」などが知られている。ほかに、複数の東京のそば店の有志が会員を組織化して、独自に会場となるそば店を決めてそば会を行う「蕎話会」いうそば会組織もある。

 

      きょうわかい【蕎話会】

昭和28年(1953)、食文化に通じていた長谷川青峰(明治17年・1884〜昭和46年・1971によって提唱、主宰されたそば料理の研究および賞味会。手打ちそばの勉強会として同氏により始められた蕎風会(きょうふうかい)が発展したもの。
かんだやぶそば、室町砂場、神田まつや、茅場町長寿庵、巴町砂場、日本橋やぶ久の主人らを中心に催され、そば料理の研鑽をかさねた。老舗そば店以外にも、東京の料理屋、関係業者、そば愛好家や文化人も参加した。長谷川青峰の没後、休止していたが、昭和52年(1977)に、大塚の江戸料理屋なべ家主人福田浩が主宰し再開。東京の老舗そば店の協力を得て継承している。

      やまがたそばをくうかい【山形そばを食う会

山形県山形市内にある萬盛庵が主催するそば会。そば店が主催するそば会の中では、全国で最も長い歴史と回数を重ねている。
第一回は、昭和35年(1960)12月11日。先代主人の高井吉蔵が山形のそばを復権させたいとの考えから始めたもの。会費制で月一回献立を変えてそば会を定期的に催し、平成7年(1995)3月には400回を記録し、現在に至る。


      ぎしそば【義士蕎麦】

赤穂浪士討ち入りを追懐して行なわれるようになったそば会、あるいはそのそば。
昭和2年(1927)に東京の有楽町更科ではじめて「義士そば」 の行事が行なわれ、色物(変わりそば)が作られた。正式名称は「赤穂浪士追懐、五色そばの会」。当時の新聞に「有楽町更科の藤村おやぢ、昨年師走14日、赤穂義士討入りそばの会を催したところ2000人からの申し込み、今年(昭和3年・1928)はさらに大仕掛、本店支店打ち寄っての大がかり、そばは古来家伝の七色そば、もう今から申し殺到」とある。

●義士そば
本懐をとげて泉岳寺へ向かう義士たち。
(『赤穂義士伝一夕話』より)