ほっかいどうそば【北海道蕎麦】
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北海道におけるソバ栽培は、記録上では元禄九年(1696)に松前藩が南部藩から取り寄せた種子のなかに「蕎麦三石」とあるのが初見だが、実際はそれ以前に栽培されていた。
道北・宗谷管内豊富町の縦穴遺跡(8〜13世紀)からソバが出土しており、当時すでにソパが栽培されていたとみてよい。ただその伝来経路が南ルート(津軽海峡経由)か北ルート(シベリア・樺太経由)かは今後の研究課題である。
アイヌ民族はもともと漁労・狩猟民族だが、若干は農耕も行なっており、ソバも作っていた。和人との接触のなかでソバ栽培を習得したとみてよい。元禄以降の栽培記録は、幕府巡検使の報告、蝦夷地探険記、遊歴記などのなかにかなりみられる。現在では全国第一位の産地になっていることは周知のとおりで、平成14年(2002)の場合、全国の約41.4%の収穫量をあげている。
北海道における営業店としてのそば店の登場はいつごろか。長岡藩士の蝦夷地出張記録である安政四年(1857)版『竿有日記(かんゆうにっき)』のなかに箱館(函館)逗留のとき「蕎麦大箱三重」が宿舎に届けられたというくだりがある。当時函館は人口約1万人で、都市形成もかなり進んでいたから、そば店が何軒かあったことは充分に推測される。函館のそば店の元祖と自任する石川家だが、安政年間(1854〜60)にそば店を営んでいた事実を過去帳から知ることができる。また同じころ、松前城下の遊里を流して歩く夜鷹そば屋の記述も残っている。さらに古くは文化年間(1804〜18)、江差(えさし)の津花町の浜小屋にそば店があったと伝えられているが、これは掘立て小屋程度のものであろう。いずれにせよ、幕末には北海道におけるそば店の本格営業が認められる。