けんどん【慳貪】  


 @江戸時代、そば・うどん・飯・酒などを、愛想がなく一杯ずつ盛り切りしたもの。
 Aけんどん箱の略。
   樫貪のあて字のほか、無造作で倹約に適っ、ているから「倹飩」、
   見る間に頓(はや)く調(でき)るか、もしくは頓は食の意味で行きがかりに
   調(ととの)い食することから「見頓」とも書く。
   また、けんどん箱は本箱に似ているので、書巻の巻の字にかけて
   「巻頓」と書くなど諸説があるが、樫貪が定説。

 

けんどんそば【樫貪蕎麦・喧鈍蕎麦】
 
『むかしむかし物語』に、寛文四年(1664)けんどんうどん・そば切りというものができ、下賤な人たちしか食べなかった、と記してある。また、遊郭吉原の沿革を書いた庄司勝富の『洞房語園』(異本、享保五年・1720自序)には、喧鈍は寛文二年(1662)秋、吉原に初めてできた端(はした)女郎の名称で、往来の人を呼ぶ声が喧(かまぴす)しく、局(つぽね)女郎よりはるかに劣り鈍にみえたからという。
ちょうどそのころ江戸町二丁目の仁左衛門というめん類店が、そば切りを仕込んで銀目五分(約三〇文)ずつに売り、安女郎の喧鈍にならって「けんどんそば」と名づけてから世間に広まった、とある。
売り値は決して安くないが、新工夫の目新しさと、吉原という別世界の立地条件によるものであろう。寛文八年(1668)ごろになると、八文が相場だった。


けんどんばこ【慳貪箱】
  
けんどんの名は出前用の箱にまでつけられることになり、けんどん箱となった。箱のふたの上から三分の一ほどのところに小さい穴をつけ、これに指を突っ込んで、ふたを開閉する。
「けんどんは胸のあたりにへその穴」の川柳もある。この形式はいまでも出前箱に応用されている。
このけんどん箱をぜいたくに作ったものが「大名けんどん」である。特権階級が趣味として用い、つくりは金蒔給、好みに応じて凝った銘をつけてある。「貴人には食うものなし」といやしめられたそばが、上流階級にまで好まれて格上げされたことは、興味深い現象といえる。
内部は吹きぬき(仕切りのないこと)で、付属品としてそば椀、汁入れ、薬味入れがつく。大名の客は5人前が通例だったが、場合により10人ということもあるから、道具は用心のため10人前は用意されていたことになる。

● けんどん
   けんどんの看板