さらしなそば【更科蕎麦】  
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更科の総本家は東京・麻布十番にある永坂更科。
更科は、信州で布屋を商っていた初代 布屋太兵衛が寛政2年(1790)、麻布永坂に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」看板を掲げたのが始まり。その伝統は現代の総本家更科堀井に受け継がれる。太兵衛は蕎麦打ちの名人で、出入りしていた保科家の殿様から勧められて蕎麦屋へ転向した。信州の更級郡産の蕎麦粉を使っていたことから、更級郡の″更″に保科家から許された″科″の字を合わせて更科としたといわれる。
永坂更科の看板商品は一番粉(さらしな粉)を使った白い“御膳そば”で、更科が成功した理由の一つでもある。白く上品な歯ざわりと喉超しのよさは、それまでの黒っぽい蕎麦をおおっぴらに食べにくかった武士や大店の主人に珍重されたという。

これよりさき寛延(1748〜51)ごろ、すでに横山町甲州屋が「さらしなそば」、浅草並木町斧屋の「更級そば」の名を掲げていたが、ほかにも、店名の上に「信濃」、「戸隠」、「木曽」、「寝覚」などを冠する店が多く、それほど信州そばの名声は高かった。

その後、総本家代々の当主によって受け継がれたが、昭和16年に戦争の影響を受け、廃業に追い込まれる。しかし、8代目当主、堀井良造氏により昭和59年に総本家更科堀井として再興、現在は9代目の良教氏が暖簾を守る。伝統の技術を受け継ぐ店は「総本家更科堀井」「神田錦町更科」「布恒更科」「築地さらしなの里」の4軒。

さらしな
永坂更科蕎麦店の図。
(明治35年・1902版、山本松谷画『風俗画報』より)