やぶそば【藪蕎麦】
やぶごさんけ【藪御三家】

                     参考リンク   すなばそば【砂場蕎麦
                              さらしなそば【更科蕎麦】
                           あんのゆらい【庵の由来】


雑司ヶ谷鬼子母神の東の方の藪の中にあった百姓家の「爺が蕎麦」が藪そばの元祖。
現在の雑司ヶ谷一丁目付近と思われる。当時「藪の内」とも呼ばれた。寛政十年(1798)版『若葉の梢』下によると「藪の内そば切りはぞふしがやの名物にて、勘兵衛と云いける。参詣の人行がけに誂えて、戻りには出来して置けり。百姓家にて、商人にてはなかりしが、いまは茶屋躰と成。諸所に其名を出すといえども、元来其家の徳なるべし」とある。
寛政当時その盛名にあずかろうと、藪蕎麦を名乗る店が方々にあらわれた。その一つに深川藪の内(現・江東区三好町四丁目)に開店した藪蕎麦(藪中庵とも)は、文化十二年(1815)版の番付「名物商人ひょうばん」にあげられたばかりでなく、幕末の江戸切絵図にものるほどの有名店になった。
 その後、駒込千駄木町の団子坂藪下にあった蔦屋も藪蕎麦とも呼ばれて大いに繁盛した。その蔦屋が神田連雀町(現・神田淡路町二丁目)に支店を出していたが、明治十三年(1880)に砂場系の浅草中砂四代目堀田七兵衛が譲り受けた。七兵衛は経営の才に恵まれ、団子坂の本店(明治三十九年(1906)に廃業)なきあと藪の暖簾をあずかり、名実ともに藪の本家として現在に至っている。(現在の神田藪蕎麦
この本店のほか浅草並木藪上野池之端藪があり、いわゆる藪御三家となっている。
藪そばは藪之内・藪下から名づけられた俗称。江戸っ子は正式な屋号より俗称で呼ぶことで親しみを感じていた。



駒込団子坂藪下にあった
藪蕎麦「蔦屋」の風景。
敷地1600坪余り、離れ座敷もあり、
庭に滝を配した。
薮蕎麦系の元祖とされる、雑司ヶ谷鬼子母神前にあつた名物蕎麦屋「爺が蕎麦」の賑わう様子。
 『江戸名所百人一首』近藤助五郎清春作。